Lass uns an die Tür klopfen?

とある教会音楽家の徒然日記

Lass uns an die Tür klopfen!

その扉をたたいてみよう!
ドイツ・ザクセン州の街ヴルツェンに住む教会音楽家の日々を綴っています
扉をたたく?
教会音楽ってなぁに?

引きこもり

こんにちは。新米ニートです。無職です。
何もしない日を満喫できるのも今だけ…と思い、仕事関係のエンジンを切ったものの何をして良いかわからない(笑)
とりあえずゆっくりしてみるって、どんなこと?休みって何?
そんな自問自答から始まり、数週間。
目標に向かって突っ走るのは得意だけど、荷下ろし症候群が激しい人間はエンジン切らない方が良いんだな、と新たな自分を発見しました。
それと共に、引きこもるという現象についてもすごく考えさせられています。
考えてるだけで、答えは出ていませんが…。
お時間のある方だけどうぞ↓

衣食住がある程度しっかりしている環境なら、ネットさえあればず〜っと引きこもっていられる。
好きな音楽聴き続けて、好きなゲームしまくって、動画見まくって。
好きなものを選択するという行為は自分発信だけれど、受け取るリアクションはほぼ自分の好みのものであり、自分が望んでいること。
学校でも仕事でも、外で活動していれば何かとぶち当たるのが、嫌なこと。
傷つくこと言われたり、嫌なことされたり、思いがけない低評価を受けたり。
自分なりに頑張ったことに結果がついてこなければ誰でも凹むし、やる気を無くしたりもしてしまう。
でもここで殻に閉じこもってしまったら、さらに出るのが億劫になる。
そんな弱気でどうする?根性出して外に出なきゃダメだ!っていう根性論で片付けば何も問題はないわけだけれど、片付かないのはなぜか?
根性がないから?我慢ができなくなったから?
今の若い者は…的な考え方で括ってしまうのも違う気がする。
じゃあ環境?モノが溢れすぎてるから?
物理的にもですが、情報という意味でも溢れてますよね。
一つ一つ精査してる暇なく、間髪与えず新しいことが与えられる。
一定の情報を整理して復習して…っていうことを繰り返し訓練してきた学生時代とは、情報量が桁違いに多い。
情報処理の仕方を根本から変えないと太刀打ちできないけど、そんな訓練時間はあるわけもなく、気づけば押し流されてる…。
押し流されたら溺れてしまうので、溺れないように自分を守ることに必死になる。
自分を守ることに必死になったら…周りって見えなくなるなぁ。
自分に集中してる時、周囲の人のことを考える余裕ってなくなってしまう。
余裕のない時、自分はどんな言葉を発してるだろう?
それを聞いた相手は…大丈夫かな?
「格別おしゃべりじゃないけど、口を開いたときの一発の重みが凄い」と言われることが多い私。
う〜ん、心配になってきた…。
だからと言って殻に閉じこもっては…本末転倒。

ああ、ぐるぐる思考。

おあとがよろし…くない…。

あ、でも一つ目標を発見。
誰かに対してリアクションをするなら、どんなものでもポジティブに言い換える力をつけたい。
嫌なことも傷つくことも低評価も、ストレートに言われたら自分が嫌だから。


お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m