Lass uns an die Tür klopfen?

とある教会音楽家の徒然日記

Lass uns an die Tür klopfen!

その扉をたたいてみよう!
ドイツ・ザクセン州の街ヴルツェンに住む教会音楽家の日々を綴っています
扉をたたく?
教会音楽ってなぁに?

郷に入っても私は私?

教会の手芸クラブでは大白熱のディスカッションが発生。
ドイツ人はみんな声がとっても大きいですが、隣の部屋で作業をしていた私もビックリするほどの大音量で、何事かと思うほど。
話題は、昨今のイスラム系難民の急増によってドイツ各地で問題になっている、イスラム女性のプール遊泳についてでした。
教会が主体となっているこの手芸クラブや国際交流チームに関わりのあるイスラム系の女の子が水泳を習いたいけれど拒否されたそうで、彼女をかわいがっているドイツ人は大憤慨!
拒否された理由は、彼女のイスラム女性としての主張、ブルキニ着用、そして女性専用プールでの受講が受け入れられなかったため。
イスラム女性は肌を見せることが戒律違反となるため、全身完全に覆うようにブルキニというものが作られたのですが、見た目は完全に洋服。
たいていのプールでは、いわゆるスクール水着やビキニ着用のこと!と利用規則で書かれているため、みなさん規則を守りましょうというのはごく自然な話。
しかもドイツにはFKKという老若男女100%全裸で泳げるプールや湖があり、真逆をいくブルキニをそうすんなりと受け入れられるはずもなく…。
ドイツのご老人はとてもアクティブなので、一人でも泳ぎに行かれるし、そんな彼らがブルキニを見たら、まあひと悶着になりかねない…。
しかも、男性の裸を見るのも戒律違反。上半身だけでもダメ。だから女性専用プールじゃないと泳げない。
いやいや待ってくれ。
この国のトルコ風呂は男女全裸混浴が普通、レディースデーや男女別の日ができたのは最近。
女性専用プールなんて考え、まずなかったでしょうよ。
しかしイスラム系の人たちは、自分たちも泳ぎたい、そんな差別は許されていいわけがないと主張なさる。

一連の難民問題の初めから、困っている人を助け、多様性を認めていこうと努めてきたドイツ。
しかしあまりにも問題が頻発し、受け入れ制限をかけたことで批判を受けたりもしています。
でもこの受け入れ制限、私は正直仕方ないと思うのです。
ドイツ人でもなく難民でもない私ですが、外国人という点では難民と同じ立場。
私は外国人として、郷に入っては郷に従え、と思って生活しています。それは8年経った今でも変わりません。
ドイツ人に生活の知恵、人生哲学を学び、良いと思うものは取り入れる。合わないものは代替え案を編み出す。
もちろん日本人としての気概も忘れてはいません。
でも、日本にいる時と同じように生活するのはまず無理なのです。
日曜は買い物できないし、日本と同じような鮮度の魚はまず手に入らない。
駄々をこねたって、できないものはできない。
しかし、全ての難民が、とは言えませんが、彼らには郷に入っては…という考え方がおそらくないのでしょう。
3年前、ハンブルクの駅で突然私の腕を掴み、ここに書いてある駅はここか?と必死に知らない言葉で尋ねてきた男の子がいました。
ジェスチャーで、あってるよ、と伝えた時の彼の表情、そして後ろにいた大家族の反応は忘れられません。本当に命からがら逃げてきたんだと思います。
しかし、彼らはここを天国と勘違いしてしまっている。
命は保障されても、祖国と同じような生活は保障されていない。
理想と現実の大きな違いに困惑し、様々な主張を始めた彼らに対し、受け入れた側は自分たちの善意と現実に挟み撃ちされる。
この問題が大きくなり始めたころ、私はいつも思っていました。
逃げてきた彼らに、少しでも日本的な謙虚さや忍耐があったら、こんなことにはならなかっただろうに、と。

イスラムだからなのか、シリア系だからなのか、中東地域だからなのかはわかりませんが、本当に自己主張が強い。
話をしていても、自分の主張が終わらない限り相手に喋る隙を与えないというのがドイツ人以上に強い。
空気読むとか、相手の考えを汲みながら、なんてまったくない。
あのテンションに勝てる日本人がいたらぜひ会ってみたいと思うほど。
そんな調子の中浮かび上がってきたプール問題。
おそらく今年は、難を逃れ、生活をなんとか確保して落ち着く時期なのでしょう。
暑い夏に泳ぎたい、というのも自然な話ですが、この問題からまた排他的な思想が強くなりそうで正直不安です。
落ち着いてきたところで、少しずつ歩み寄りについて考えてもらえたら…と思いますが、なかなかそうはいかないのかなぁ。