Lass uns an die Tür klopfen?

とある教会音楽家の徒然日記

Lass uns an die Tür klopfen!

その扉をたたいてみよう!
ドイツ・ザクセン州の街ヴルツェンに住む教会音楽家の日々を綴っています
扉をたたく?
教会音楽ってなぁに?

会衆は、歌わない?

リストの家からダッシュでマーチャーシュ教会へ。
建物は目視できるが距離感や途中の勾配はわからないのでひたすらサクサク歩いたら、意外とすぐに着きました(笑)

しかしまあ、この眺め!

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こんなところに住んでたら人生観変わるだろうなぁ。

礼拝には観光客を入れたくないのでしょう、礼拝中は退出できない云々言われましたがそこは笑顔でスルー(笑)わかってますよー。

ヨーロッパで様々な教会を見学しましたが、ここは色彩が独特。
というより、ハンガリーの色彩感覚が独特。

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リスト音楽院のホール然り、夜景のライティング然り。黒がただの黒ではなく、輝きはどことなくいぶし銀…。

さて礼拝。
オルガンはというと、こちらもいぶし銀な音色。太く力強いけれど、きらびやかで華やかというよりくぐもった重厚感と、対照的に非常に柔らかいフルート系の弱音が印象的でした。
カトリックの式次第は頭に入ってますが、なにせ言葉がわからない。
メロディを歌えても歌詞はさっぱり。
オルガニストが弾きながら先唱を歌うけれど私は歌えないなー、と思ったら、
地元の信者さんも全然歌ってない?!
私の前後からかすかにしか声が聞こえない。

先日のパッサウの時もびっくりしたのですが、毎週きちんと礼拝を持つ大きい教会の会衆がここまで歌わないとは驚きでした。
宗派の違いのせいもあるとは思います。かつての教会はすべて司祭や修道士が礼拝を執り行い、グレゴリオ聖歌を歌っているのを、会衆は後ろで聞いていた。
それをルターやほかのプロテスタントの改革者は会衆も一緒に参加するようにと、賛美歌を共に歌う形に変えた歴史があります。
両宗派で試行錯誤が繰り返され、カトリックでも会衆も賛美歌を歌うというのが現在スタンダードになっているのですが、どうも違うらしい…。

宗派が、とは言いましたが、ライプツィヒでお手伝いしたいくつかのカトリック教会はどこも予想以上によく歌う皆さんで、予定していたレジストではオルガンが負けてしまうこともありました…。
歌の盛んなライプツィヒだから、なのかなぁ?

礼拝の後、お散歩していたら夕暮れ時。
運良く座れたカフェで景色を眺める。

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刻一刻と変わる色合い、本当に飽きない。

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国会議事堂のライティング、どうもパッとスイッチ一つではつかず、中を歩いて付けているのではないか?と奥様と盛り上がったり。

同じ景色を眺めていても、前日とは全然違う。
人生に同じ日がないように、景色にも同じ日はない。
旅先では目新しい発見の連続だけど、日常のさまざまなことも見落とさないようにしたいな、とふと思ったり。
それは長い付き合いの人も同じ。旅先だと普段は出てこないような話題で盛り上がったりもするわけで。
この日もご夫妻と3人で夕食から爆笑デザートまで、あーだこーだと遅くまで盛り上がったのでした。