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Lass uns an die Tür klopfen?

kleine Tagesbuch aus Leipzig.

Lass uns an die Tür klopfen!

その扉をたたいてみよう!
ライプツィヒでの教会音楽留学の日々を綴っています
扉をたたく?
教会音楽ってなぁに?
ライプツィヒ、どんな街?

言葉を伝える

今日は聖金曜日。イエス・キリストが十字架につけられて亡くなられた日。
ドイツの教会では、朝の礼拝のほか、亡くなられた時間である午後3時に音楽礼拝や演奏会があり、また夜には受難曲やスタバト・マーテルなど受難にちなんだ大きな作品の演奏会があります。
聖ニコライ教会では朝9時半の礼拝で、ヨハネ受難曲から最初と最後の合唱といくつかのコラールを歌いました。
毎年マタイかヨハネどちらかしか歌わないので、両方歌えるのは嬉しいことです。
ヨハネの劇的なコントラスト、マタイの細やかな心理描写、歌っていると心が持っていかれてしまうので、平常心でいることに苦労します。

先日のマタイ受難曲もそうでしたが、毎年泣いていらっしゃるお客様が見えるのでもう大変!
つられて泣かないように頑張るのですが、毎回共演するエヴァンゲリストが本当に素晴らしいので、結局いつもこらえきれないでいます。
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(GPの様子。お昼なので明るいです)

エヴァンゲリストは物語の語り手。
情景描写、人物の紹介など歌うナレーターと言ったらいいでしょうか。
昔は文字の読めない人が多く、聖書は耳から聞くものであり、音楽は物語を理解させるために大きな役割を担っていました。
朗読をし人の心に情景を思い起こさせるエヴァンゲリストが多いのですが、共演した方は聞き手をその事件現場に放り込むかのように歌います。まるでオペラ。
動作ができない分、本当に細かな声の表現力が必要な中、ペトロに、ユダに、そしてイエスの心にそれぞれ寄り添うように歌い分ける。
全身全霊で言葉を伝えるとはまさにこのこと。
バッハはもっと冷静に歌うべきだ、という意見もあるかもしれませんが、キレイに歌って何も印象に残らないのでは意味がありません。
物語が始まったら最後までその世界に引き込み続ける彼の語りはまるでロック。
人の心に深く刻みこむ、強大な破壊力すら感じます。

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(演奏会用の台に乗ると普段は頭上にある彫刻もよく見えます。写真はイエスのエルサレム入城の様子。ここから受難が始まります。)

そもそも教会での声楽と合唱は、聖書の言葉を伝え、賛美の言葉を唱えることが仕事。
残響5秒近くの教会堂で言葉をはっきりさせることはドイツ人でも至難の技です。
マタイ受難曲の翌日、ハンブルクの古巣の聖歌隊でいくつかコラールを振らせていただきましたが、やっぱり言葉がハッキリしない。
音楽的にも文章の流れとしても、まだまだわからないことはたくさん。
自分で歌ったり人の発音を真似したり、毎回試行錯誤です。

言葉を聞き取ってもらえるように歌うことは大前提。
そこから人に何かを感じ、考えてもらうことが教会合唱の真の目的。

言葉を伝える。

私の永遠の課題です。

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